2014年7月20日日曜日

当たり前の事実確認

友人との会話を経て、改めて元々思っていた事を再確認したので、せっかくだからここに明記しておく。

私には絵の才能がない。そもそも絵を描くに当たって向いていない。これは何も世間一般でよくある自虐や自虐的な自己肯定感の類ではなく、単に『脚のない人は走る事に向いていない』『太っている人は太っているのである』といったような、当たり前の事実だ。


根拠を述べるならば、私はまず自分が望む絵のイメージを抱く事が難しい。
色を完璧に誤認せずに見る事ができない。
絵に対して特別たる集中力や執着心を抱けない。
器用な手先や多くの造形に対するイメージを持ち得ない。
そして何よりも絵に対しての心よりの感動や理想を持ち得るに至っていない。
さらに根本的に言うならば、未だに『ただ絵を描く事』を微塵も楽しいとは思えない。


以上が、私が絵の才能がなく、絵を描くのに向いていないと思う所以である。

私が知る限りにおいて、身近や世間で『正しく絵の才能がある』『絵を描くべくして絵を描いて生業としている』人々は、これらの条件を満たしているように思える。
私の親族の画家達や、プロのデザイナーとして活躍している我が親友がまさにその好例と言える。これらの条件を兼ね揃えた上で適切且つ多大な努力を積み重ねているからこそ、彼らの活動は多くの人には真似できず、価値のある創作活動として世で評価されているのだろう。

誤解をしてほしくないのは、私は別に褒められたくて絵を描いているわけでもなく、好きで描いているのでもなく、自己顕示欲のために描いているわけでもなく、同好の士とつるみたくて描いているのでもないという事だ。プロを目指せるつもりもない。

だが、一般的にはこれらの理由をなしに絵を描く事は極めて不健全であり、決して推奨されないものらしい。こういった主張をすれば多くの場合「それならば描かなければ良い」という安易な回答が提示される事になる。

けれど、私の場合は今のところ「描くしかないから描いている」といった状況であるから、何とも救いのない話だと思う。ここ半月ほど誰とも関わらなくなって色々と考えてみてはいるが、やはりこういう結論に行き着いてしまう。


問題は、これをただの愚痴ではなく、あくまで次のレベルを目指す上での正しい自己認識にしなくてはならないということだ。私にはこういった意味で才能も予想も適性もないが、それでも尚目標のレベルの絵描きにあと1,2年でならないといけないという事だ。

現在、私の画力は相対評価で100点中20点といったところで、作品としての出来栄えは100点中3点がせいぜいといったところ。何故そうなのかを我が親友はとてもわかりやすく示してくれたから、やはり私の自己認識に間違いはなかったのだと確信できた。


これは久々に落書きしてみたものだが、大体4時間ほど掛かってしまった。その不手際さもさる事ながら、絵を描く上での基本的な意識の杜撰さ、技術や知識の不足さ、何より絵を構築する上での定石と禁忌を理解しなさ過ぎるという事を痛感した。

これを100点中3点として、今年中には20点、来年には50点に相当できるほどの絵を描けるようにしたいと思う。そのための今までにない訓練を今月より始めている。
今までのやり方では、今よりはるか高みに到達する事はできない。到達できないなら、私にとって『お絵描き』は何の意味もなさなくなってしまう。それが、心底怖い。

とはいえど、今月より現実問題が色々と忙しくなってしまったので、絵の練習は一日の間でもほとんどできなくなってしまったので、まずはこの夏の間に基礎的な感覚の向上・絵柄の改良・絵の設計理論の構築と修練を可能な限り頑張りたい。デッサンもある程度はやりたいな。

・・・よし、書きたい本音を書けたし色々と整理できたから、今日から尚一層頑張るぞこんにゃろうううううううー!!(∩´∀`)∩